『フライの雑誌第58号』の内容の一部

夏の道 備前 貢
 先週、この渓流を釣ったとき、ここは光り輝いていた。
 どこといって特長のない瀬とプールが交互につづく中規模の渓流。徒渉に困ることもまったくない。
 そんな流れで、小さなウエイテッドニンフを使って、すごくエキサイティングな釣りをした。荒瀬の流芯や落ち込みに潜んでいたまるでカツオのような体形と輝きの、パワフルで逞しいニジマスが、何匹も釣れたのだった。
 勢いのある流れの水底で、そんなニジマスをフッキングさせたときの、ズドンッと腕に響く衝撃は、たまらないものがあった。
 マスをネットに押し込んでからは、ほれぼれ見とれた。固く引き締まった筋肉質なのに、でっぷり重量感のある魚体の見事な体高と幅。透明感のあるウロコは、陽の光の加減で、白銀にぎらぎら輝いた。見ていると、何かちょっとエロティックなときめきがあった。
 素晴らしかった。

多摩川水族館(33)マルタウグイにまつわるエトセトラ 中本 賢 
 女子大生をハンマーで殴り殺した……。動機は、痴漢に間違えられて家庭をグシャグシャにされたからだ。殺害現場はファミレス。振り向きざまに襲いかかり、やおら隠し持っていたハンマーを振り上げ、側頭部を力まかせにガツン……。血しぶきがガラス窓にドピァーッと飛び散り、あたりは悲鳴と逃げまどう人々で騒然としている。立ちつくす殺害者の僕は、ゼェーゼェー息を荒げ、白目をむき息絶えた女子大生を睨みつけていたのであった……。
 アー、これだからテレビのサスペンスドラマは嫌いだ。お芝居とはいえ、血しぶきドピューとか、ハンマーでボカンってのはホトホト気分がよろしくない。
 だいたい、こういう殺伐とした仕事が入ると撮影のずい分前から気持ちはガックリしてくる。台本を読めば読むほど、役の悲しみもなんとなく分かり、すっかり気分が滅入ってくるからだ。
 したがって、そんな仕事が入ると、プライベートでも「よしッ、今日も元気に川へ行ってみようッ!」などと、サンサンと輝く五月の青空のような気分になれなくなるのが残念だ。“川のノー天気”か、“現場の憂鬱”か……ウーム、春の小川はサラサラいかないのである。


ヤマメとカエル 角 敬裕
 JR中央線沿線に住んで一〇年以上が経った。現在の我が家は、ラーメン屋、鰻の蒲焼屋、インド料理屋など様々な飲食店がひしめくにぎやかな商店街を抜けて(そこには行きつけの写真店や、品揃えの良い数軒の古本屋もある)、さらに少し歩いたところに位置している。
 そんな東京の我が家の庭で、草木の匂いに混ざってクチナシが香りだす六月頃、毎年、馴染みのガマガエルが姿をあらわす。僕はこの場所に住んで五年目だが、年々このガマは恰幅がよくなっている。そろそろ老齢の域かもしれないが、今年も元気な姿をあらわした。
 玄関の植え込みのあたりで、毎晩のように羽虫や昆虫を啄む姿を見かける。このガマは近寄っても逃げようとしない。棒でつつくとやっとめんどくさそうに重い腰を上げ、ビヨーン、ビヨーン、と少しだけ移動する。ブラウントラウトに凄みをつけたような色をしている。勤めから帰ってきたときに、いちど踏みつけそうになったことがある。薄暗闇ではあまり会いたくない奴だ。

隣人のフライボックス[特別編]そして時は流れた! 10年目のフライボックス 備前 貢さん 
 一〇年前かあ…その頃の記憶を辿れば、ついこの前のように思い出せることもたくさんある。けれど、一〇年前のフライボックスと現在のものを見くらべると、いろいろな意味で隔世の感がある。
 幸か不幸か、こんな機会でもない限り、再び見ることはなかったであろう一〇年前のフライボックスは、確実に時は流れている、ということを痛感させてくれた。
 一〇年前、ぼくは、渋谷のセンター街(!)で、レゲエという音楽専門のレコード屋の支店長だった。この仕事に染まって四年目、バブルと共に訪れた日本の一大レゲエ・ブームが、いよいよ波に乗り始め、レゲエ産業は活気に満ちていた。レゲエの本場ジャマイカから多くのアーティストが来日して、イベントはいつも盛況だった。都内だけに留まらず、日本中の地方都市に、レゲエ専門のクラブが雨後のタケノコのように次々とオープンしていた。
 そんななか、来日した数多くの敬愛してやまないアーティストたちにインタビューの機会が与えられたり、深夜のレゲエ・クラブのDJブースの中で、ターンテーブルを回しながら、フロアで踊る老若男女の酔っぱらいたちを眺めたりしているのが、日常的な出来事だった。刺激的な毎日が続いていた。

公聴会へ行こう! スズキ・イチロー 
 前号では、釣り人が漁協を作って漁業権の免許を受けるための方法論について説明しましたが、実際の問題としてここまでやらないにしても、漁業権についていろいろ意見を述べ、釣り場づくりに反映させたいと考えている釣り人は多いのではないでしょうか。
 現在設定されている漁業権のほとんどは、平成15年度に存続期間が満了し、一斉に切り替え免許が行われることになっていますが、この切り替えは、釣り場づくりに関与したいと考える釣り人にとって数少ない大きなチャンスであると言えます。切り替え免許に際して漁場の位置や増殖対象種といった漁業権の内容が検討・決定されることがその理由ですが、切り替えに関する一連の手続きにおける釣り人と行政との具体的な接点は、漁場計画の樹立の過程で開催される公聴会になります。

釣り場時評(36)捕鯨とブラックバス――クジラ食害論と外来魚駆除論 水口憲哉 
 サッカーWカップへの関心の高まりの前に、五月下旬下関で開催された国際捕鯨委員会(IWC)年次総会は関係者が自画自賛している割にはもうひとつ盛り上がらなかった。その一つの原因として水産庁を筆頭とする日本の捕鯨推進派の主張というか宣伝がなんとなくウソっぽくて人々の関心を呼ぶには今いちだったということがある。セネガル対フランス戦を観てしまった今となっては、そのウソっぽさにつき合うのは空しいことでもあるのだが、ブラックバスでの駆除論者の理屈と捕鯨推進派の理屈がともに屁理屈(筋道の立たない理屈、つまらない議論)であるということに免じておつき合いください。

今秋の奥多摩に注目!――奥多摩本流は一年を通してニジマス釣りが楽しめるようになる? 堀内正徳
 多摩川は1千万人以上の人口を擁する東京都の、渓流釣り場としては最大の河川である。本誌が奥多摩をたびたび取り上げるのは、奥多摩が都内からもっとも近い渓流釣り場であることはもとより、現在の国内の釣り場が抱える諸問題が、巨大都市東京を流れる奥多摩川に集約されてあらわれていると考えるからだ。
 現在の奥多摩川は水も魚も、人間の手により維持されている人工の釣り場である。人の手による釣り場管理の出来不出来が、如実に反映される意味で、釣り人の多さと魚の数、河川環境がひどくアンバランスな奥多摩川は、いわば「極端な」例題だ。
 本誌前号で見たように、これまで長い間、奥多摩では解禁当初の限られた場所と限られた期間に大勢の釣り人が殺到し、一年のほとんどは川に魚がいないので釣りにならないという状況が放置されていた。奥多摩川の水産資源(魚)を管理する奥多摩漁協は、フライフィッシングを楽しむ釣り人の目から見て適正な釣り場運営をしているとは言い難かった。
 この間、本誌編集部では数回に渡り奥多摩漁協へ取材を行った。前号で紹介したトラウト・フォーラム内のグループをはじめとした多くの釣り人が、今の奥多摩へ感じている諸疑問と要望を直接伝えて、漁協の側からの反論を聞いた。奥多摩漁協は今秋から来春にかけて、これまで奥多摩漁協が行ったことのないアイデアを実施する。釣り人は奥多摩へ期待していいのか。

五度目のニュージーランド(7)ひと月に渡った釣り旅はワナカで終わりを迎えた 渡辺貴哉
 およそひと月にわたったNZ(ニュージーランド)南島でのこの釣り旅は、とうとう終わりを迎えようとしていた。旅の途中で合流したKと、旅のしめくくりにどこで釣るかを相談したが、ワナカに行くことで意見が一致した。
 ぼくにとってワナカはNZの中でもとくにたくさんの思い出がある土地だ。天候が安定しているし、良い釣りが期待できるということもあるが、見覚えのある風景を見たり、なつかしい知人たちに会うことで、日本に帰る前に、埋もれかかった思い出を鮮明なものにしておきたかった。

飼育 浅野眞一郎
 サクラの花が咲き始めたころ、ぼくは千葉の競馬場の近くに引越した。そして、コスモスの花が秋の風に揺れる頃にその池を知った。地図にも載らないほどの住宅街のちいさな池だ。
 池は自転車で二分の場所にあった。ちいさな噴水のとなりにあるその池の存在は知ってたが、いつも傍らを通り過ぎるだけだった。ぼくはその日、初めて自転車を降りて池に近づいてみた。植え込み越しに見ると、コンクリートで固められた三角の形をした池があった。大きな鯉がいた。
 足元から水面まではおよそ一メートル。池の中央にはずいぶん前に投げ込まれてたらしい自転車のカゴの一部が堆積した泥の底から顔をのぞかせていた。水深は浅いところで五〇センチ、最深部でも一メートルほどである。水は意外にも底が見えるほどに澄んでいて、流れさえあった。
 池には直径三〇センチほどのパイプからこんこんと湧水が注ぎ込んでいた。真っ黒な五〇センチほどのコイの他に、フナ、ニゴイ、ワタカ、キンギョが泳いでいた。
 池の吐き出し口は金網が張られている。そこから流れ出た水は三面コンクリートの溝をちょろちょろと流れていく。行き先は、家庭排水を集めた日本で二番目に汚いドブ川である。ぼくが観察したかぎりでは、そのドブ川に住む魚はコイとボラだけだ。だから、少なくともフナ、ニゴイ、ワタカも誰かが放したものには違いなかった。
 池の向かいには宅地開発から逃れた急斜面の公園がある。崖に無理やり歩道を設置した公園だが、ケヤキやヒノキ、マツなどの樹木が茂っている。途切れることなく安定した水量で池に流れ込む地下水は、その森の方から来ている。
 宅地開発にともなう区画整備事業の時に水が湧き出てしまった。せっかく水が出たのだから、池でも作っておこう。おそらくそういうことなのだろう。石にはめ込まれた記念プレートには昭和五三年一〇月吉日竣工と刻まれている。
 湧水をたたえた池を眺めながら、ぼくはアブラヒレを持つ魚がそこに泳ぐ姿を夢想した。