『フライの雑誌第55号』の内容の一部

ブラウントラウトの惑星 角 敬裕
 ぼくが勤める会社には「リフレッシュ休暇」と称して勤続一〇年目に長期休暇をとれる制度がある。その年、さまざまなこと(仕事の調整、女房との調整など)をとりまとめて、リフレッシュ休暇をついに獲得した僕は、その十一日間すべてを南米パタゴニア地方(南米大陸の 南緯四〇度以南のアルゼンチンとチリにまたがる地域)への釣り旅に費やすことにした。

 チリのバルマセダ空港の到着ロビーには、ロッドケースを手にした釣り客とわかる数組がいた。
 しばらくすると、雑誌から飛び出してきたような格好をしたアメリカ人のガイドたち(北米からフィッシング ガイドをするために南米に来ている)が、それぞれの客をピックアップしていった。気がつくとロビーは閑散としていた。この釣り旅のメンツである、マスダさん、ヨシダさん、そして僕の三人だけが取り残された。
 我らがローカルガイドのニーノは、約束の時間から二〇分遅れで何事もなかったかのように平然とあらわれた。ロビーにニーノの声が響きわたった。彼の笑顔に僕らはほっとした。
 ニーノのピックアップトラックに乗せられて、僕らはコジャイケという街に向かった。
 たおやかな起伏を持つ緑の牧場の中を、一直線の道がコジャイケに続いていた。
「気にいったか? ここはよいところだぞ」
 ハンドルを握るニーノがゆっくりとしたスペイン語で語りかけてきた。


川辺の人(1) 備前 貢 

 四月上旬。飛騨高山から静岡県の富士宮に引っ越してあれよあれよという間に一か月になろうとしていた。
 引っ越しをして、なんやかやの手続きや部屋の片づけなどなど、あれもこれもしないと、と思いながら、ほとんど何もしないで川に入り浸る毎日がつづいている。
「引っ越したら、また釣りに行く日数増えるんじゃないの」という、周囲の予想をはるかに上回って、毎日欠かさず釣りに出かけた。
 なんたって、引っ越し早々わが家から歩いて二、三分のところを流れる川で、尺を超す見事なヤマメが釣れてしまったのだ。ぼくのなかで何かがパチンと弾けた。何につけルーズで責任感に欠けるぼくを、かろうじて社会につなぎ止めてくれていた常識の声を届けてくれる心の天使は、隅っこに追いやられた。かわりに、いつもでかい顔をしてる釣りの悪魔の声はさらにでかくなった。そしてこう言う。
 (釣れ〜、釣って釣って釣りまくれ〜! 仕事も、アレもコレもみ〜んな後回し。とにかく川へ行くんや……)
 ぼくは、あっさりその言葉に従った。

スタンダードフライ・タイイング図説(26)ポーリー・ロズボロとファジィ・ニンフス 備前 貢
ファジィ・パターンって何?
 さて、巷に出回っている釣り雑誌やハウ・トゥ本の類を見ていると、フライ・パターンの名称や機能を指す言葉として、「ファジィ」という単語が使われているのをよく見かけます。
 では、この「ファジィ」という言葉には、どんな意味があるのでしょうか。
 辞書をひいてみると、「ぼやけた、はっきりしない、ちぢれている」などの意味があるようです。
 で、これをフライに置き換えて単純に考えてみると、「はっきりしない印象を感じるフライ」が、ファジィ・パターンということでしょうか。
 たとえばアダムス…。茶色とグリズリーのハックル、そしてグレイ色のボディといった体裁をしたこのパターン。特定の昆虫を模倣していないにも関わらず、全体の色調の調和やフォルムから、絶妙な`虫っぽさaを感じさせてくれるのは、フライフィッシングをやっている方なら万人の認めるところでしょう。
 さらにたとえばヘアーズ・イヤー。あるときはメイフライ、あるときはカディス、ストーン…。しかもそれぞれの昆虫の、ニンフ、イマージャーなどさまざまな状態すら暗示できる…。
 つまり、ファジィ・パターンとは暗示しようとする昆虫などの種類と、その状態に、幅と奥行きを持たせたパターンと言えるのではないでしょうか。
 ちなみにファジィという言葉には、期せずして「毛羽立った、微毛がある」などの意味もあるようです。まさにフライ的な言葉…。で、この釣れそうな気配がムンムンする言葉をフライフィッシングの世界に持ち込んだ人物が、今回の主人公、アーネスト・ハーバート`ポーリーaロズボロ(以下、ポーリー・ロズボロ)です。一九六五年に、アメリカのニンフフライフィッシングの発展を語る上で、決して避けて通れない名著『タイイング・アンド・フィッシング・ザ・ファジーニンフス』を刊行した人物です。

特集◎私が夢見る釣り(釣り場)
――寝ても覚めても見るのは釣りの夢だけ!? 九人の釣り人に、夢に見る釣り(釣り場)を聞きました。

夢でも矛盾は消えない 浅野眞一郎
ブルーフィッシュの群れ 西堂達裕
白昼夢にまで出る「コの字」 川野信之
気がついたら、夢はそこにあった 森村義博
その川の名はA川 野々垣洋一
なにもかもが今と同じであってほしい二〇年後のラストチャンス 木住野 勇
現実になってきた夢 黒石真宏
すべてが夢となる前に 谷 昌子
終わりのない空想の川 備前 貢

漁師のテリー 渡辺裕一
 テリーは日系三世のカナダ人だった。
 バンクーバーから南へ車で一時間ほどのスティーブストンというちいさな漁村で、ぼくは彼と出会った。一九七二年の春だった。

 当時、バンクーバーは世界でもっともヒッピーの溢れている街だった。なぜだかはわからない。ともかく、一九六〇年代後半にサンフランシスコあたりに世界中から集まっていたヒッピーがなだれをうって、その頃かの地に集結していた。その間の中継地として、あのウッドストックがあった。彼らが、その熱を帯びたまま直送されて街に溢れていた。そこら中で路上ミュージシャンの生演奏が鳴り響き、長髪の若者が擦り切れたジーンズに裸足の姿で踊りつづけ、男と女は一瞬で恋をした。大麻の匂いが煙草の匂いをうわまわり、街中がむんむんと音をたてて発情していた。主催者のいないカーニバルの熱気が山火事のようにひろがっていた。大麻開放を訴える集まりのあった夜には太さ十センチ、長さ二メートルあまりのマリファナが路上でまわされ、騎馬警官と数千人のヒッピーとの衝突で街中が騒然となったこともあった。その年、バンクーバーはフランス革命前夜のような熱を帯びていた。

 ぼくはその前年の一九七一年の七月に移民船『あるぜんちな丸』で渡米した。当時としてはもっとも安いアメリカへの渡航法であった。六畳間の蚕棚ベッドに八人が寝るような三等船室だったが、それなりに、そうとうに楽しい旅ではあった。たしか、横浜からハワイを経由してロスアンジェルスまで二十七日かかったと思う。船内の免税バーで毎日飲んで、アメリカに着く前に持ち金の十万円のうち三万円を遣ってしまった。残った七万円を尻ポケットに入れて、意気揚揚と異国に上陸した。カリフォルニアの空はあくまでも青かった。

カブラー斉藤の人生にタックル(11)船釣り二連戦。「だから魚皮は釣れるって言ったでしょ!」カブラー斉藤
 本誌前号の特集「私が最近特に良く使っているこのマテリアル」カモエビアメリカンの写真を見て私は思った。「なんだこのいかにも釣れなそうなフライは? 一体誰が巻いたんだ!」。しかしそんな変な名前のフライを一体誰が巻くという? どう考えても私以外に考えられない。ただ私がイメージしていたのとはどうも違うようだ。写真のようなフライを送った覚えは全然ない。よく見てわかった。チェーンアイが一八〇度回転して上についていたのだ。それは編集部から送り返されてきたフライを見てはっきりした。ハードケースに入れずポリ袋に入れて封筒で送ったため、たぶん編集部に届いた時点で九〇度回転して目玉が縦になっていたのだろう。それを見た担当者は「あっアイが曲がってる」と思い、九〇度ぐりっと逆方向に回したはずだ。チェーンアイは本当にずれやすい。それを防ぐためスレッドで何度もたすきがけにして瞬間接着剤で固定し、さらにワイヤーまで巻いたのにだめだったようだ。アイが一八〇度回転したためアイ付近の、本来は上側を向いているはずのヒゲやハックルがシャンクの下側に回り、このまま使うといかにもバランス悪そうだ。私は雑誌にフライを載せてもらう場合、少なくとも自分から見て釣れそうなフライを送ることにしている。そのためにハックルやウィングなども念入りにクセ付けしたりしたのに…。あー納得いかん。だいたい偉そうにバランスの話までしてるんだから、いくら軽いアルミのチェーンアイだからって絶対上にはつけないっちゅーの(モノフィラは別)。まあこれくらいで勘弁しといてやるか。また担当者の心象を悪くするしな。