『フライの雑誌第54号』の内容の一部

特集 私が最近特によく使っているこのマテリアル
十一人に聞きました
ディアヘア/ラムズ・ウール 田中典康
ピーコック 片山和人
フィンラクーン/グレイマラード カブラー斉藤
モール 樋渡忠一
ホットスティック/テレストリアル・フォーム/レインボースレッド 渡辺貴哉
タイヤーズレースミッジ 松野 亮
マラードクイル 黒石真宏
熱収縮チューブ 安藤朗彦
CDCフェザー/シルクフロス 木住野 勇
メルティファイバー/サランラップ 滝 政司
エミュ 備前 貢

多摩川水族館(29)多摩川に遡上してくるマルタウグイの群れに驚く 中本 賢 
 多摩川の中下流域で、川好きのお年寄りと河原で立ち話すると、必ず出てくる魚の話がある。
 その名もマルタウグイ。遠い多摩川の思い出を語るなかで、少々感傷的な気分にまぶされた`どうだ、お前なんかは知らないだろ……a的な優越感とともに、その話は進む。
 マルタウグイ…。うーん、確かに面白い名前だ。しかし、その姿を見れば一目瞭然、すぐにうなずける。体長は四〇〜五〇センチ。産卵期には腹にオレンジの鮮やかなシマ模様が入り、その名の通りマルタのように立派なウグイなのだ。
 お年寄りの話はさらに続く。
「イヤー、あれがいっぱい居てサー、よく網で打ったり釣ったりして遊んだもんだヨ」
 そりゃーそうだ。あんなウグイが釣れるとなれば、かなり面白かったにちがいない。
 そして最後はお決まりの一言、
「あァー、昔は良かったなァー」
 と、おもむろに五月の空を見上げたところでこの話は終わることになっている。

スタンダードフライ・タイイング図説(25)古くて新しいおススメ天然素材、スノウ・シュー 備前 貢
 今も昔も、数ある天然のマテリアルの中で、最もポピュラーな素材として誰もがその筆頭にあげるのは、まず何といってもヘアーズ・イヤー(野ウサギの耳)の毛でしょう。
 では、そのヘアーズ・イヤーの毛は、いったいいつ頃からフライのマテリアルとして使われているのでしょう。
 時は一八三四年、ハンサードという人物が、アイルランドのサーモン用フライの材料として使ったのが最初なのだそうです。
 ちなみに、ヘアーズ・イヤーをダビング・ボディに使ったパターンとして、最も初期の頃のパターンでもあり、今もあまりに有名かつポピュラーなウエットフライのマーチ・ブラウンの原形は、その五年後の一八三九年、ホフランドという人物の手によって、広く知られるようになったのだそうです。
 しかし、野ウサギの耳の毛以外の部分の毛が、ポピュラーなマテリアルとして知られるようになったのは、なんと! 今から三〇〇年以上前のことだと言われています。
 ロバート・ホウレットという人物が、その著書『ザ・アングラーズ・シュア・ガイド』の中で、八月におススメのフライとして、野ウサギの首の部分の毛を使った、フェーン・フライというパターンを紹介したのが、野ウサギの毛をフライ・マテリアルに使うことを取り上げた、最も古い文献なのだそうです。実に一七〇六年のことです。
 数世紀にわたる、途方もない歴史に支えられ、いまだに多くの様々なフライ・パターンに使われ続ける野ウサギの毛。耳、首、顔、背中と、いろいろな毛が、その時代ごとにむしられ続けてきました。
 と、ありとあらゆる部分の毛がこんなにも長い間、多くの人々に使われ続けたにも関わらず、これもまたなんと、近年になってにわかに脚光を浴び、アメリカで静かなブームになっている、今まで使われていなかった野ウサギの毛の部分があります。
 そんな、ロマンと発見に満ちた、新感覚マテリアルとなる野ウサギの毛。
 それが、スノウ・シューです。

小説家の開高さん 渡辺裕一
「はじめまして、もの言うオブジェ開高です」
 そのひとは例のカン高い声でそう言うと、やわらかで肉厚の手をさしのべてきた。

 一九八八年の五月。ぼくはロンドンの中心街のホテルの一室で小説家の開高さんにはじめてお会いした。「開高健のスコットランド釣り紀行」というテレビ番組のロケのためである。ぼくの本業は広告のコピーを書くことであるが、当時この番組のメインスポンサーであるS社の仕事をしていたことから、このドキュメンタリーのシナリオを書くというお鉢がまわってきた。ぼくが、釣りをたしなむということも起用の理由になったようだ。
 
 事の始まりは、筋肉のかたまりのようなアトランテック・サーモン(大西洋鮭)を毛鉤で釣るという、英国紳士のもっとも優雅にして忍耐を要する遊びに開高さんがいたく興味を持ち、その道のオーソリティであるところの元英国首相ダグラス・ヒューム卿にその旨を手紙にしたためたことからであった。殿下は、
「そういうことなら、拙者の領地であるスコットランドのツィード川にいらっしゃいナ。ご案内いたしましょう」      
 と何ともおおらかなお返事をくださったというのである。
 動機はできている。あとはぼくがその話に多少の盛り付けをくわえるだけだが、こちらも英国の毛鉤釣りには十数年来の思い入れがある。釣り文学の古典、アイザック・ウォルトンの『釣魚大全』を読み耽っていた時期があったからだ。あののどかにして、どこか虚無的なくらい現実に背を向けた物語をモチーフに話を展開することにした。

無能の釣り人(2) 備前 貢
 この春、岐阜の飛騨高山から静岡の富士宮に引っ越しをした。
 引っ越しの前日、夜になって吹雪になった。でかい粒の重い雪が、強風にあおられて横なぐりに吹いている。
 三月に入って、どことなく春めいた気もしていた飛騨高山は、また厳冬の日々となった。
 引っ越し準備を少し中断して、住んでいるマンションから歩いてすぐの所にある中華料理屋に行った。
「こんばんわー」と言って入っていく。手持ちぶさたでテレビに見入っていた、おやじさんと奥さんがびっくりしながら振り返って、「あ、いらっしゃい」と言った。二人でハモっていた。
「まあ、こんな夜にねえ、いらっしゃい」
 奥さんが、そう言うだろうなあと思っていた言葉をそのまま言った。
 チャーハンとギョーザを頼んだ。それと、お持ち帰りでカラアゲも頼んだ。
 一人でこの店に来たときは、おやじさんの調理している姿をボ〜ッと見ているのが楽しい。おやじさんの動作は、全体の流れがとまることなく、淀みや遊びがない。何から何までがスムーズだった。おやじさんは、一人が動けばいっぱいの、狭い厨房の中を完全にコントロールしていた。
 ダレた気持ちをシャンとしたいとき、晩ごはんがてら、よく見学しにいった。
 そういえば、二週間ほど前にも来た。そのときは、名古屋の山口君がニュージーランドに移住することになって、ここのカラアゲだけはぜひ食っておきたい、というので来たのだった。カラアゲはたしかにうまい。はっきり言って世界一うまい。
 そんな世界一のカラアゲを、紙の箱につめてもらって、急ぎ足で帰る。
 外は、あいかわらず激しい雪だ。

カブラー斉藤の人生にタックル(10)イトウ釣りに賭ける私の情熱 カブラー斉藤
 はっきり言ってこんな話全然書きたくない。万一こんな話でも影響を受けてイトウ釣りやってみようかな、なんて思う人が一人でもいたら大変だ。この後どんなことが書かれていようとも実はイトウ釣りなんてたいして面白くないので、決してかん違いしないように。
 今年もやはり恒例の道北遠征を行った。タイトルに情熱なんて書いたが一週間以上もいるとやはりダレてしまう。朝早く起きられないのだ。なぜ朝起きられないかというとそれは人間としてダレているからだ。いやそれは根本的な要因ではあるが、引き金となる要素がある。それは東京〜釧路間のフェリーが廃止になり(東京〜苫小牧間も廃止)、大洗〜苫小牧しか選択できなくなったからだ。そのためまず豊島区の自宅から大洗まで一二〇キロ走り、二〇時間船に乗って苫小牧から道北の目的地まで四二〇キロ走らなければならなくなった。今回の所要時間は六時頃に苫小牧を出て到着が四時半頃だったので約一〇時間半(釧路からでも大差ない気もする)。
 到着後暗くなるまで釣り、さらにフライまで巻いてから寝ると疲れているので早く起きられるはずがない。このように最初の朝からつまずくと癖がついて、もう全然起きられなくなってしまうのである。べつに夜釣りでも釣れればいいのだが、冷静に考えると朝の方が釣れそうだ。釣れた魚もよく見えるし。でもみんな朝は早いのだ。早い奴は二時くらいから場所取りしてるらしいし。あーやだやだ。結局早起きでは勝負にならないので今回もゆっくり釣ったんだよねー。