『フライの雑誌第51号』の内容の一部

特集◎この本が面白い
 これまで読んだなかで面白かったのはどの本ですか?
 主に本誌ライター、水産分野研究者の方々に、釣り周辺の本も含めて聞きました。
 全54冊!
『鮭サラの一生』『フライパターン・マニュアル』『フライタイイング・マニュアル』『フライフィッシング教書』『ブナの原生林白神山地をゆく』『ウエットフライ探究』『山棲みまんだら』『フィッシュ・オン』『鮭工場』『ア・フライフィッシャーズ・ライフ』『ザ・フライフィッシング』『フライフィッシング教書』『Muriel Foster's Fishing Diary』『フライキャスティング・マニュアル』『マスター・フライタイイング・ガイド』『Dickerson The Man and HIs Rods』『テツ・西山のフライフィッシング講座』『松平維平の仕事』『ボクの学校は山と川』『雨の日の釣師のために』『The Complete Flyfishing Ldges in U.S.A. Montana Guide Fishing』『エキスパートのフライフィッシング』『百匹釣り男の本』『チライの里』『石狩日誌』『湿原のカムイ』『上級者のためのトラウト・タクティックス』『水生昆虫アルバム』『フライ・キャスティング基礎編』『アメリカの環境保全運動』『日本の川遊び』『フローティングニンフの周辺』『The Trout and the Fly』『完本・逃げろツチノコ』『Tying The Classic Salmon Fly』『In The Ring Of The Rise』『Catching Trout』『イワナの夏』『底なし淵』『湖の魚』『日本の水はよみがえるか』『おあひょう寄生虫さん』『フライフィッシング讃歌』『イギリスの鱒釣り』『釣聖・恩田俊雄』『大地の川』『淡水魚・増刊イワナ特集』『渓流生態砂防学』『アマチュア森林学のすすめ』『砂漠の征服』『釣魚迷』『A Summer on the Test』『Fly Fishing』『Management of LAKES & PONDS』『釣心魚心』


フォト紀行 谷間のかがやき 角 浩司 
 角浩司氏による撮り下ろしフォト・ストーリー。全9ページ。

スタンダード・フライタイイング図説(22)マドラーミノー 備前 貢
 マドラーミノー…ストリーマーとしてもドライフライとしても、誰もが認める名作中の名作パターン。
 このパターンが生まれた舞台は、カナダのオンタリオ州北部を流れるニピゴン・リバー。当時のこの川は、ワールド・レコード・クラスの超大物ブルック・トラウトが狙える川として有名だったそうです。マドラーミノーは当初、この川のブルック・トラウトの大物キラーとして考案されたのでした。一九三七年のことです。
 考案者は、アメリカのミネソタ州にあるアノカという街で「ゲイペン・フライ・カンパニー」という看板を掲げてコマーシャル・フライを巻いていたフライ・タイヤーのドン・ゲイペンという人物。
 ドン・ゲイペンは、ニピゴン・リバー流域に住むネイティブ・アメリカンから、現地で「コカトゥーシュ・ミノー」と呼ばれるカジカの仲間が、大型のブルック・トラウトの絶好のエサだという話を聞きます。それをヒントにこのベイトフィッシュのイミテーションとしてマドラーミノーを思いついたのでした。


カブラー斉藤の人生にタックル(7)災難だらけの知床カラフトマス釣行記 さよなら、BL5の五分の四 カブラー斉藤
 九九年八月の終わりにぜいたくなカラフトマス釣行をおこなった。何がぜいたくかと言えば、北海道へ釣りに行くのにスーパーカブ号ではなく飛行機を使い、現地ではレンタカー、しかも私は免許がないので運転すらせずという楽々釣行なのである。
 私はいつものように準備が遅く荷物をまとめたころには当日の明け方で、一時間も寝られなかった。家から池袋駅までは歩いて一五分という中途半端な距離だ。自転車やカブ号を路上に放置できないので結局推定二五キロのザックを背負って歩くことになった。季節柄、二五キログラムの荷物を背負って歩くのは暑くてつらく、すでにおっさんな私は駅に着いた時点でもうハヒハヒだった。待ち合わせ場所で会った同行のM氏はディパックにキャスター付きの旅行かばんの出で立ちで楽そうだった。ずるいぞ。

日本釣り場論(26)どうなる、これからの河口湖
突然の漁協執行部交代をめぐって新旧組合長に聞く 中沢 孝 
 今年(二〇〇〇年)四月初旬、ある電話のなかで「河口湖漁協の丸山組合長が辞任した」と聞いて、驚いた。
 丸山組合長といえば、一九九三年(平成五年)に組合長に就任して以来、翌年にはニジマスを漁業権魚種にし、日本で初めてのフライフィッシング専用区を三か所(現在は四か所。別に禁漁区一か所)設け、これまた日本初の遊魚券自動販売機も導入するなど、次々に釣り人サービスを考えたアイディアを実行しつづけてきた人だ。
 実際、一九九四年の河口湖漁協の遊魚券販売総額は、前年の四・五倍の約一億三〇〇〇万円(さらに一九九五年は約二億二五〇〇万円、一九九六年は約三億二三〇〇万円)にもなった。多くの釣り人に支持された結果だった。そしてその経済基盤を活かし、河口湖漁協は数か所の釣り人のための駐車場とトイレも設置した。ほんの一部を除いて日本じゅうの内水面漁協が衰退していくなかで、河口湖漁協の躍進ぶりに釣り人はもちろんのこと、広範囲の水産関係者が目を瞠った。そして、丸山組合長がいてはじめてこの河口湖の躍進があったことは、多くの関係者が認めていることである。
 そこで、組合長を辞任して五か月ほどたった丸山錬氏に会って話を聞いた。