「キャッチ・アンド・リリースなら釣ってもいいじゃないか」とだけ主張するご意見には賛成できません。

東電福島第一原子力発電所事故により、ヤマメ・イワナへ放射能汚染の被害が発生しています。ご存じのように、栃木県の一部水系では、基準値を超えた渓流魚が出たということで、水系によっては渓流釣り解禁が延期となりました。

汚染魚の釣りをどう許可するかの判断には、各都県が国・水産庁に確認をあおいでいるようです。先日、水産庁の担当部署である沿岸沖合課に編集部が取材したところ、釣り上げた汚染魚を「ぜったいに食べないという担保がない」から禁漁延期が妥当であるという、木で鼻をくくったような回答が出てきました。

一方、群馬県でも基準値超えのヤマメ・イワナが出ましたが、条件付きでの解禁を認めています。汚染されたのは同じでも、県により解禁・禁漁の対応が異なるというひじょうに分かりづらい状況です。今後、渓流魚の放射能汚染がどのように展開していくか、また、釣り場の禁漁がどこまで広がるのかは不明です。

このような状況を踏まえ、一部の釣り人さん、釣り雑誌さん、漁協さん、釣り業界の関係者さんから、「基準値を超える汚染魚が出て釣り自粛を要請された河川でも、キャッチ・アンド・リリースなら釣ってもいいじゃないか」、というご意見が出ているようです。

その気持ちはよくわかります。「一歩引いてもいいから、大切な自分の釣りを守りたい」、当然です。また「釣り=漁、魚=食品」というオールドタイプな定型にとらわれている日本の法律枠の中で、スポーツフィッシングを是とする釣り人が、国・水産庁の杓子定規な方針に反発を覚えるのはあたりまえのことです。

放射能汚染に関して、水産庁がきちんと独自の対応を果たせているのならともかく、釣人専門官でさえ何らメッセージを発し得ていない現状では、水産庁の現在の姿勢は逃げ口上としか思えません。釣り人の理解を得られるはずがありません。

ただしかしです。「キャッチ・アンド・リリースなら釣ってもいいじゃないか」とだけ主張するご意見には賛成できません。正確に言うと「キャッチ・アンド・リリースなら釣ってもいいじゃないか」を否定しませんが、さらに将来を見通した意見を釣り人は表明したほうがよいと思っています。自分たちの目の前の釣りを守ることももちろん大切です。と、同時並行で、次世代の子どもたちの釣りと釣り場を守ることをも大切に考えませんか。

きわめて残念なことですが、福島第一原子力発電所の事故で放射能汚染された山や川、そしてそこに棲んでいる魚たちは、わたしたちが生きている間はもとには戻りません。そもそも原発が出す核のゴミ捨て場さえ決まっていないのです。だからせめて、これ以上の放射能汚染を引き起こす可能性のある原発への疑問の声を、釣り人からもあげましょう。

そのことへの思いなしに、「リリースなら…」とだけ叫んで主張を通すことは、自分の満足にはなるかもしれません。ただそれでは今回のきびしくつらい事故を引き起こした大元の禍根を、次世代へそのまま残すことになります。いつか今回と同じか、それ以上の事故が起こります。もしそうなれば、今度こそ日本の釣り場はおしまいです。

わたしたちはすでに、東電福島第一原発に汚染された山や森、川と湖、海、魚と生き物たちを子どもたちから奪ってしまいました。あまりにも大きな原発事故の被害を受けて、世論は今までになく「脱原発」あるいは「反原発」の大きなうねりを帯び始めています。釣り人は自然の大切さ、素晴らしさ、かけがえのなさを誰よりもよく知っている人種のはずです。

子どもたちが思う存分あそべるきれいな自然を残すのは、東電福島第一原発事故を〝引き起こした〟今を生きるわたしたちの、もっとも重要な仕事です。

ひとりひとりが原発の恐ろしさ、むごさ、とりかえしのつかなさを心に刻んでけして忘れなければ、未来は変わります。

(フライの雑誌社 堀内正徳)

※原発事故は釣り周辺の事業にも多大な経済的被害を及ぼしています。たとえば遊漁料収入の減少、観光客の忌避による収入減少、禁漁延期による釣り具の買い控え、釣り人の精神的苦痛など実害は多岐にわたります。これらの原因者はもちろん東京電力です。責任をとらないばかりか被害者面する東電へ、正しく補償を要求することは道理だと考えます。